ROOTの庭

【論説】ROOTの庭理論
今の庭に不足しているのは「危機感」である。次いで「多様な知見」である。
論説、随筆として書くので、難解かもしれないし、あなたを否定しているように感じるかも知れないがそうではない。近年、庭という物の選択肢が非常に狭くなっているので、一つの解釈として提示をしようと考えただけである。「今の庭ってこんな感じなのか」と流し見していただければと思う。あくまで私の意見であり正解とは限らないが、600株の植物を管理する植物愛好家として「一般人と植物をつなぐ」というジャンルを建築側から考案した、この分野のリーダーの所見であるので、当たらずとも遠からずとは思っている。(リーダーと言ったが会員は1名かも知れない、それでもリーダーはリーダーである)
ここまで庭に対して、庭の管理者であるお客様に対して、真摯に挑んだ人間はいないと思うので。読んでいただければきっと何かを感じていただける、と期待している。でも不快に感じる方の方が多いんだろうな…と悲観しているのが、本当の所である。
庭を手に入れる人へ
あなたは庭の管理者である。
このページにいる時点であなたは高性能住宅を勉強されている事かと推察できる。あなたは高性能住宅について要望を言えるし、もしかしたら比較、論じる事までできるかも知れない。でも、断言しても良いが、あなたは庭については調べないし論じられない。理由としては庭に到達するまでに疲れ果ててしまうからだ、家のスペックや仕様を考える事がもちろん優先される。
するとどうなるか、建築会社、ひいては庭屋さんに一任するケースが圧倒的多数になってくる。これによる弊害がたくさん起きていると考え、私は自分の庭理論を考案する事となったのだ。
私の庭理論は、高性能住宅を設計できる者が理詰めで考えた庭理論であり、いわば高性能な庭である。とはいえ庭の性能とはなんぞや?という具体的な数的根拠を示すわけではない。あくまで比較論からの定義付けとなる。
いままで誰も作って来なかったであろう新しい庭。興味はそそられないだろうか?

1.庭のポジション
庭は自然ではない
庭というと何を想像するだろうか?おそらく某、国民的なアニメスタジオがつくる草木にあふれた庭ではないだろうか?
都市圏だと車一台しかスペースがない、などの事情から草木とは無縁となりがちなのだが、それでも小さなスペースに草木を詰め込むという試みも見られる。大手HM(ハウスメーカー)でもそういった詰め込みも増えている。話は逸れるが私が望みを託すE.O.ウィルソンのバイオフィリアという思想、バイオフィリックデザインという作法から見た時それらの詰め込みは歓迎される。なのでここからは一般的に好ましいとされる庭は草木つまり自然にあふれた庭と仮定する。これが一般論における庭のポジションである。そして私はそれに反抗していくという構図になる。
さて早速ではあるが、
「庭は癒し、自然とのつながり」と論じるのが大多数派であるが、これは大きな間違いである。
自然は強く、人間社会や文化を侵食するものであり、飼いならすなどおこがましい。簡単に癒しが欲しければ植物園へ行けば良いし、山を登れば良い。植物園の自然は多額の公費を投じて抑え込まれているし、山は自然淘汰、競合の末に山という形に相互に抑え込まれている。自然とはそういう強い物だ。自分の土地の隣に森があると想像すると分かりやすい。それらの「自然」から我々は「家」を守らなければならない。
「庭」とは自然の侵食に対する防壁であり「緩衝地帯」と言って差し支えない。
つまり「庭=自然」ではない。一旦分けて考えるべきである。
ここで、高性能住宅に詳しいあなたへ質問がある。
あなたの高性能住宅は光熱費をいくら削減してくれましたか?(同等の性能の他社と比較して)
おそらく、1年で3万円以下である。
それでは庭の管理費用、庭屋さんに剪定を1年に1回してもらうとして、いくらになるでしょう?
おそらく、1年で3万円以上である。
結論、あなたが高性能住宅で得た恩恵は、自然への防衛費として消える。

なぜ防衛しなければならないのか?
この防衛費について、顧客に説明される事はあまり無い。おおかたお引き渡しの際に「毎年の剪定で末永くお世話になります」と庭屋さんが紹介されて「??」となるのがお約束となる。国会なら防衛費は防衛省から財務省に提出され、内閣の閣議決定の後に国会により議決されるが、住宅の防衛費はなんの審査もなく、後出しで勝手に決まる。
そもそもなぜ防衛しなければならないのか?
防衛費のかかる庭の方が、格好良く癒しが詰っているからである。
思い出して欲しい、家の隣に森があるケースを。さらに もう一つ思い出して欲しい、一般論として庭には草木が求められるという事を。その結果、緩衝地帯である「庭」に「自然」が入り込む。つまり、防衛費のかかる庭が一般論として求められているという事である。
例えばコンクリートで固められた庭は、割れと汚れが問題無ければ末永く防衛費無料、と言える。
例えば砂利を敷き詰めた庭は、除草剤という極めて安い防衛費しかかからない庭である、とも言える。
これらの庭が、格好悪く癒しが存在しないから、庭として認められないのである。
私見として、コンクリートや砂利の庭を否定しない。自身の財産である土地の利用や管理は自身にゆだねられるべきである。高性能住宅で獲得した金銭的な「恩恵」を守るという思考は素晴らしく合理的であるし、最初にお金をかけてコンクリートで固めれば、今後、防衛しなくて良いという事実は、人によっては「癒し」である事も理解しなければならない。
防衛しなくても良い、格好良い庭
私の目標は、防衛しなくても良い、格好良い庭だ。
【防衛しなくて良いとは?】
まず防衛費がかからないようにする方法はいくつかある。いくつもある。
要は、庭という緩衝地帯が「戦場」にならなければ良いのだ。ずいぶんと長い時間をかけてたどり着いた「作戦」はあるのだが「シークレット」とさせていただく。ヒントとしては「庭」から見た「家」についてとにかく考えろ、という事になる。お気づきかと思うが、これは建築会社でなくてはできない。庭屋さんではできない。建築会社がリードすべき所以である。
【格好良いとは?】
私の庭は一般論では格好悪くなってしまうだろう。何せ今までの作法が使えないのだから。なので、新しい価値観を作り「格好良い」を作り替えなければならない。そのためにまず一般論を正す所から始めよう。
あえていうなら一般論の格好良さとは自然への誤解である。前述のとおり自然は常に攻めてくるので、今までの既存の作法で取り組むと緩衝地帯が戦場になるのだ。顧客にとって「戦場」は「癒しの場」として映っている。本当は攻侵攻されている事に気づいていないのである。これにより無垢な家は自然という驚異によって損なわれてしまうのである。
格好良いの定義の書き替えに必要な要素として、
まず、スケールというレイアウト感覚を用いる。例えば盆栽はスケールの破壊による美学だし、水族館や一部の高尚なアクアリウムに見られるアトラスレイアウトはスケールの再現を狙う美学と私は解釈している。このスケールの感覚を顧客に学んでもらえば、いくつかの問題点は消失する。大自然に憧れ、大自然を盆栽的に庭に詰め込むから問題なのである。大自然に憧れるのなら、アトラス的な切り取りを行えば、切り取られた大自然は、切り取られた大自然のまま庭に存在できる。
次に、自然感という感覚を用いる。自然感とはどんなところに自然味を感じるかという感覚、と定義している。私の庭ではあくまで自然は驚異として存在する。それでは、自然は庭に取り入れられないのか?というとそうではない。誰でも制御できる範囲の自然を組み込み、自然と人造物の攻防「小さな戦場」を「自然感」としてシニカルに楽しむのだ。例をあげるとツタが絡まった廃墟の写真に心躍った経験はないだろうか?それが私の自然感だ。廃墟がマクロであるので、それをミクロで置換し再現し制御すればよい。
これらはの感覚を用いて新しい意匠と価値を創造する。
ここで、はじめて自然と庭は統合される。

人造物も許容できる
今の理論であれば、カーポートやポストなどの人造物すら取り込めるのだ。
格好悪いと言われているアルミカーポートやサインポールをシニカルにとらえられれば自然感として扱える。そして、そういった既製品を用いれば工事費用が安くなるのだ。防衛費もかからず、初期費用まで安いとなれば、それは魔法ではないか?もちろん、ちゃんと思考しないとろくでもない見た目となるのは必然であるので、その点に注意が必要である。

2.スマホ時代の庭の話
- 参考文献 -
・スマホ時代の哲学、増補改訂版(2022) 著:谷川嘉浩
・庭の話(2024) 著:宇野常寛
哲学書、社会学書としては驚くほど売れている書籍2冊を参考に私の考えを綴る。
解釈の間違いがあるかも知れないので、是非これらの書籍を読んでいただき感想を聞かせていただけると幸いである。
今の時代はSNSなどの繋がりを強要される常時接続の時代で、個人は浅い対人関係に沿うよう知らず知らずに作り替えられている。心は浅い対人関係に安寧を覚えるようになり(一種の依存状態)これにより現実社会での逆境に耐える力が減ったり、対人関係以外の事への感受性が欠けてしまったりする。
例をあげると自分が承認される場をSNSに求め、イイね!がもらえる投稿をするようになる。これは、陰謀論、政治批判、愚痴などと非常に親和性が高い。見ているだけの人(ROM専)は安全かというとそうではなく、自分の注意の多くがSNSのアルゴリズムに染まり、アルゴリズムの外部から情報を摂取する力が弱くなる。結果として、世界観の変質などの深刻な影響が出ると問題視されている。
この感受性の損失や、世界観の変質にどのように対抗するか?
両氏は「孤独」を解決策の一部に取り上げている。はたして「良質な孤独」は手に入るのか?
良質な孤独とは?
「良質な孤独」の摂取方法に谷川氏は「植物」を宇野氏は「作業」をあげている。
私の解釈としては「良質な孤独」は室内外で摂取が可能であるが、室外においては庭が最適解かと思う。庭における「良質な孤独」、それは「園芸」である。
解決しないモヤモヤとした謎ととも生きる、これは谷川氏が「スマホ時代の哲学」の中で提示した処方でもある。つまりは植物育成となるのだが。これを植物愛好家である私が噛み砕くと「園芸」が答えとなるのだ。
「園芸」という言葉は広義になってしまうので、狭義として再定義すると、庭における「園芸」とは植物いじりの事である。水が切れていないかな?悪い虫がついていないかな?そろそろ肥料の季節かな?これが植物いじりである。ハサミを持って剪定すればなお良しである。なので、本文の中で「園芸=植物いじり」の認識で読み進めていただきたい。
宇野氏は「庭の話」の中でも庭師ジル・クレマンや作家エマ・マリスの思想を介して、自然を豊かにするためには人が積極的に自然に介入する必要がある、と論じている。つまり「作業」せよという事だ。個人の庭においての積極的作業とは「園芸」に当たらないか、と私は考えた。
余談になるが宇野氏は、戦後の日本文学を代表する文豪、坂口安吾をして、人間が孤独になれる状況を「戦争」と論じたが、私のこの本文の中にも「戦場」という比喩はたくさん出る。これは私の庭理論構想の最初期からあった概念なので宇野氏の「庭の話」を読んでいる時に思わずええっと声が出た。私の構想も悪い筋では無いのだろうと妙に勇気づけられる読書体験となった。
園芸とは何か?
例えば、植物が枯れた場合、あなたは憤るだろうか?
弱った植物を植えられた!植え方が悪い!クレームでもよく有りそうだ。一方、植物愛好家はそんな事は絶対に言わない。(余程ひどい場合を除き)植物愛好家の思考は「ああもっとこうすれば枯れ無かったかも知れない」「次はこうしてみよう」である。
同じ植物を育てるにしても、このクレームは消極的な植物育成であり、植物愛好家の姿勢は積極的な植物育成である。この積極的な植物育成こそ、やはり「園芸」と定義されるべきなのだ。
園芸は全てを受け入れる。
育てるも園芸、植えるも園芸、枯らすも園芸、園芸には喜怒哀楽の全てがある。植物を介して自分と向き合うのだ。これはまさに「良質な孤独」ではないだろうか。
あなたはこのスマホ時代における最高の処方薬を手に入れるのである。
私は植物が枯れる事に責任を持たないけれど、せめてもの誠意として、植わっている植物の名前、配置、育て方、特許番号およびPVP番号、全てをお客様に資料としてお渡しする。「植えた植物の名前が分からない」これは商売として庭を提供する者として最底辺の所業である。詳しくは言わないが最悪のケースの場合、お客様が法律に触れてしまう。

3.長年のつきあい
変わっていく人と庭
長年の付き合いと言えば…
「庭はお客様と共に成長していくんですよ。」とよく聞くセールストークだが、それは剪定ありきの話である。
通常の庭は剪定を辞めれば成長どころか攻撃してくるのは前述のとおりである。新聞購読も減っているこのご時世、あなたの経済状況問わず「剪定というサブスク」を辞めるわけにはいかないのである。これは脅迫観念に変わっていく。信じられないかもしれないが「切り倒す」事が「癒し」になるケースがたくさんあるのだ。私は解体業として他社の作った庭の樹木を切り倒す事がある。その時のお客様の顔は晴れやかだ。いたたまれない。切り倒された樹木を処分しながら、なんとか遺伝子を残せないか、盆栽として存続できないかと、挿し木を試みる。いたたまれないのだ。
私の庭は処方薬である「園芸」を推奨するので、お客様が「園芸」をすれば庭が成長するし、お客様が「園芸」を辞めれば庭は劣化する。植えてはいけない植物もたくさんある。それについての教育も併せて行う事で辞めるという選択肢も取りやすくなるのだ。あなたの後継者、相続人に要らぬ負担を求める事はあってはならないのだ。あなたの「庭」は負の遺産であってはならない。負の遺産は「癒し」と最も遠い位置にあるのだから。
人はいつまでも園芸を続けていく事はできない。いつか必ず辞める時が来るのだ。
境界線をないがしろにしてはいけない
長年の付き合いと言えば…
我々は地域というコミュニティに少なからず所属する。ご近所付き合いは長年の付き合いになりがちである。
ここでご近所にかかわる大きな問題を提起する。
例えば樹木について考えよう。語弊を恐れずに言うが、庭屋さんは隣地に樹木がはみ出しても良いと考えている。もしくは成長してはみ出すぶんには仕方ないと考えている。
落ち着いて考えてみて欲しい。あなたが自分の庭はコンクリートで守りを固める防衛主義の人間だったとしよう。隣の家からあなたの庭に「枝」「根っこ」が攻めてきても寛容でいられるだろうか?これくらいは許容する人が多いかもしれない。それではレベルを上げよう。葉っぱがあなたの庭に降り注ぎ排水(側溝や雨樋)を詰まらせる。花の蜜求めて虫が飛び交う。芋虫も落ちてくる。果実をエサとする鳥がフンを落とし洗濯物を汚す。落ちた果実が土間にシミを作る。さあ容認できるか?まだかろうじて理性があなたを繋ぎ止めるかも知れない。
それでは…最後の一押しをしてみよう…。
隣人は
そんな庭に「癒し」を感じているぞ!
「庭はお互い様ですから…」とか言ってるぞ!
「自然を理解できない狭量な人」ってレッテル貼ってくるぞ!
全員が爆発した事であろうと思う。それを問題視していないのが近年の庭だ。確かに生垣を作ったような時代の庭ではお互い様は通用した。その昭和の考えを皆が持っている訳ではない。アップデートのできていない古い価値観がまかり通る、いや「まかり通ると勘違いしている」のが近年の庭である。
隣地は隣国である。隣国に甘えてはいけない。
国際問題を起こすかも知れないという気持ちで挑む事が、近年のアップデートされた庭には求められる。
あと、くどいかもしれないが、もう一点。
道路や河川にはみ出すのはOKという訳の分からない自分ルールも捨てるべきだ。
道路には道路の、河川には河川の管理者がいる、ひょっとしたら清掃は自治体が年に一回行うかもしれない(滋賀では琵琶湖一斉清掃という行事がある)。○○さんのせいで側溝が枯葉だらけ…と後ろ指を挿されるかも知れない。
それでは樹木を植えてはいけないのか?そんな事はない。毎年お金をかけて剪定をしてもらうか、自分で剪定できる低木を選べば良いのだ。
だが、断言するが、低木を植えて欲しいとお願いしても絶対中高木を植えてくる。それが庭屋さんだ。理由は収まりがつかない。という事になる。諦めるしかない…。
かくいう私も諦められずに自分で庭工事をするようになったのだけれど。
まとめ
以上、まとめると
現代の庭には今での庭とは違う機能を持たせる事がどうも求められていそうである。
「緩衝地帯のための庭」「孤独になるための庭」「園芸の庭」「アップデートされた庭」このようなものをまとめて「高性能な庭」といってもさしつかえないと考える。
庭の意匠にはパッと見のインパクトが重要視される、構図などもそれのための技法だ。これらには黄金比など、古くから建築や絵画に用いられたものの血脈も存在する。これらに逆らい根源的に好まれる意匠を手放してしまう事ははばかられるし、非常に勇気がいる。
ただ別の見方で、美術史になぞらえると、アンリ・ルソーの胆力がなければシュルレアリスムの発展は遅れただろうし、セザンヌのひたむきさが無ければキュビズムの台頭も無かったかも知れない。彼らの貢献を見ると、なにも飛躍した精神だけが美術を支えているわけではないと言える。自分にできる事を自分なりにやり続ける事で大きな活動が産まれる事もあると、美術史が証明している。
私の庭理論がこれらに該当するというつもりは無いが
やってみないと分からない。
最後に
「危機感」を感じていただけただろうか?「多様な知見」に触れていただけただろうか?
正解では無いかもしれないけれど、当たらずとも遠からず、と感じていただけただろうか?
長文駄文にお付き合いいただき大変恐縮に思っています。ありがとうございます。
最初に「今の庭ってこんな感じなのか」と流し見して欲しいと言ったが、これを逆の立場で言い替えると「私は別にあなたの庭がどんな風になっても良いと考えている」という事になる。ひどい言い方となってしまうがそういう事である。
この庭理論は私の思う高性能住宅に合う庭であるので、実際はあなたの庭を担当する作庭者、建築会社の御心一つであろうと思う。私の考えを彼らに伝えると確実に怒り出すだろう。「そんなもの庭ではない!」と、それほどまでに私の庭理論は一般論の「庭」ではない。なので彼らに否はない。彼らを批判しないで欲しい。ひょっとしたら万にひとつ。あなたの(私の)考えに同調してくれる作庭者、建築会社がいるかも知れない。そんな時は彼らとともに「園芸」を楽しんで欲しい。いや、一喜一憂、創意工夫して欲しい。
きっとあなたはこの現代に必要な「良質な孤独」を手に入れる事になる。
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ご拝読いただき感謝いたします。最後に残念なお知らせですが、ROOTの庭は弊社の建物にしか提供しておりません。1年で3棟程度で限界となっています。建物と庭は密接である事、思想を形にするためにとても労力を使う事の証左としてご理解いただけると幸いです。

ROOTf/gの主な活動
<ご注意>活動範囲・活動制限
植物のレイアウト販売に関して現在形態を模索しています。
活動範囲は弊社から1時間圏内とさせていただいています。
社員が少ないため、急ぎの工事は対応できない事が多いです。
あとROOT店舗は基本開いていません。要予約となります。
ご了承お願いいたします。
届出など
取扱特定第一種国内希少野生動植物種
特定国内種事業者 25-0004
ナンバンカモメラン、キバナシュスラン
農薬販売届出 滋賀県 21023号
肥料販売届出 滋賀県 1951号
植物育成ファニチャー1
植物育成ファニチャー2
植物育成ファニチャー3
植物育成ファニチャー4




